この間、千葉県一宮町にある玉前神社を訪れた。
そこで知ったのが、
「御来光の道(レイライン)」
という言葉だった。
春分と秋分の日。
九十九里の海から昇った太陽が玉前神社を照らし、その延長線上には寒川神社、富士山、七面山、竹生島、元伊勢・皇大神社、大神山神社、そして出雲大社が並ぶという。
詳しくはこちらの記事に書いた。
【千葉・一宮】玉前神社を参拝|痛すぎる「はだしの道」と、さざれ石・レイラインを巡る
「へぇ、面白いなぁ」
そんな気持ちで地図を眺めていた時、ふと思った。
そういえば、自分は出雲大社に行ったことがある。

出雲大社に行ったのに、何も知らなかった
以前、島根を旅した時に出雲大社を訪れた。
ただ、その頃の自分は神社のことを今ほど気にしていなかった。
出雲大社といえば、巨大なしめ縄。
そのくらいの知識だったと思う。
だから現地で大きなしめ縄を見た時、
「おお、これが出雲大社か!」
と素直に感動した。

写真を見返しても、やっぱりすごい。
夕方の少し青みがかった空。
大きな屋根。
そして、その下に掛けられた巨大なしめ縄。
今でも、この風景はよく覚えている。
でも最近になって、写真を見ながら改めて調べてみた。
すると、一つ気づいたことがあった。
自分が「出雲大社のメイン」だと思っていた場所は、神楽殿だった。
巨大なしめ縄があるのは「神楽殿」
あの巨大なしめ縄がある建物は、
神楽殿(かぐらでん)
という。
出雲大社の公式サイトによると、神楽殿はもともと出雲大社宮司家の大広間として使われていた建物で、現在は御祈祷や結婚式、さまざまな祭事などが行われている。
そして正面に掛けられた大注連縄は、
長さ約13メートル、重さ約5.2トン。
数字で見ても、とんでもなく大きい。
実際にその下に立つと、写真で見る以上の迫力があった。
あの時の自分は、
「この巨大なしめ縄があるところこそ、出雲大社の中心なんだろう」
と勝手に思っていた。
でも、そうではなかった。
出雲大社の中心には御本殿があり、その手前には拝殿がある。
神楽殿とは別の建物だ。
これを知った時、
「あれ?」
となった。
拝殿をちゃんと参拝した記憶がない
昔の記憶をたどってみる。
出雲大社に到着したのは、かなり遅い時間だった。
神楽殿の巨大なしめ縄を見たことは鮮明に覚えている。
でも、
拝殿をきちんと参拝した記憶がない。
御本殿の周囲をじっくり歩いた記憶もない。
もちろん、時間が経っているので記憶が抜け落ちているだけかもしれない。
ただ少なくとも、
「出雲大社の境内を理解しながら歩いた」
とは、とても言えない。
巨大なしめ縄を見て満足してしまったのだと思う。
今考えると、
なんともったいない。
でも、それも昔の自分の旅だ。
何も知らなかったからこそ、今になってもう一度行きたくなっている。
そもそも出雲大社とは、どんな神社なのだろう
せっかく神社に興味を持ち始めたので、今の自分でもう一度調べてみた。
出雲大社の御祭神は、
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
「だいこくさま」としても広く知られている神様だ。
そして出雲大社の起源をたどっていくと、単なる「古い神社」という話では終わらない。
その先には、
日本神話の「国譲り」
が出てくる。
「国譲り」の神話と出雲大社
『古事記』や『日本書紀』に伝わる神話では、大国主大神は国づくりを行い、その国土を天照大御神へ譲ったとされている。
その大国主大神の功績を称え、壮大な神殿が造られた。
それが出雲大社の起源として伝えられている。
つまり、
「西暦○○年に創建されました」
という歴史だけでは語れない。
出雲大社の始まりを追いかけていくと、
歴史から、そのまま神話の世界へ入っていく。
これが面白い。
昔訪れた時に、こんなことを少しでも知っていたら、境内の見え方は全然違っただろうなと思う。
大国主大神と「縁結び」
出雲大社といえば、縁結びを思い浮かべる人も多いと思う。
自分もそうだった。
ただ、出雲大社が説明する「縁結び」は、男女の縁だけではない。
人と人。
仕事。
暮らし。
自分たちを取り巻く、さまざまなつながり。
そうした広い意味での「ご縁」を結ぶ神様として、大国主大神は信仰されているという。
そう考えると「縁結び」という言葉の印象も少し変わる。
人は一人で生きているようで、いろいろな縁の中で生きている。
旅先で訪れた神社を、何年も経ってからもう一度調べていることだって、ある意味では一つの縁なのかもしれない。
現在の御本殿でも高さ約24メートル
そして、今度出雲大社へ行ったら絶対にじっくり見たいのが、
御本殿。
現在の御本殿は1744年に造営されたもので、1952年に国宝に指定されている。
高さは、約24メートル。
これだけでも十分巨大だ。
しかも出雲大社の御本殿は「大社造」と呼ばれる古い神社建築様式を今に伝えている。
昔は巨大なしめ縄ばかり見ていた自分。
今度行ったら、まず御本殿の姿をじっくり見てみたい。
古代の御本殿は高さ48メートルだった?
さらに面白いのが、古代の出雲大社。
出雲大社には、古代の御本殿が現在よりさらに巨大で、
高さ16丈、約48メートル
あったという伝承がある。
48メートル。
現在の御本殿の約2倍だ。
「本当にそんな巨大な神殿があったの?」
と思ってしまう。
ところが2000年、境内から巨大な柱の遺構が発見された。
3本の大木を束ねて一本の柱とする構造で、出雲大社に伝わる古代御本殿の図とも関係するものとして紹介されている。
もちろん、発掘された柱だけで「高さ48メートルの神殿が存在した」とすべてが確定したわけではない。
でも、
古代の出雲に、想像を超えるほど大きな神殿が建っていた可能性を感じさせる。
こういう話は大好きだ。
次に行く時は、巨大なしめ縄を見るだけでは終われない。
玉前神社から出雲大社へ「御来光の道」
そして今回、昔の出雲大社を思い出したきっかけが、
玉前神社のレイラインだった。
玉前神社では、春分・秋分の日の太陽と関係する一本のラインを、
「御来光の道(レイライン)」
として紹介している。
九十九里の海から昇った太陽が、真東を向いた玉前神社の一の鳥居を照らす。
その延長線上には、
玉前神社
↓
寒川神社
↓
富士山山頂
↓
七面山
↓
竹生島
↓
元伊勢・皇大神社
↓
大神山神社
↓
出雲大社
が並ぶとされている。
玉前神社が、その東側の起点。
そして西の先にあるのが、出雲大社だ。
地図を見ると、なんだかワクワクする。
レイラインは「面白い見方」として楽しみたい
ただし、ここは少し冷静に。
「古代の人たちが、すべての神社や霊山を意図的に一直線上へ配置した」
ということまで、歴史的事実として証明されているわけではない。
だから今の自分は、「こういう見方があるんだな」くらいの距離感で楽しんでいる。
それでも十分だ。
玉前神社を訪れた。
そこでレイラインという言葉を知った。
その線の先を調べていたら、昔自分が訪れた出雲大社へつながった。
そして昔の写真を見返した。
すると、「もう一度行きたい」と思った。
それだけでも、この一本の線を知った意味はあったと思う。

出雲そばの記憶は、ちゃんと残っていた
神社の記憶は少し曖昧なのに、写真フォルダを見ていたら、
食べ物の写真はしっかり残っていた。


出雲そば。
何段にも分かれた器に盛られた蕎麦。
とろろ。
山菜。
天ぷら。
薬味もたっぷり。
神楽殿のことは勘違いしていたのに、
出雲そばを食べたことはちゃんと覚えている。
我ながら分かりやすい。


でも、これも旅の記憶なんだと思う。
神社だけじゃない。
その土地を歩いて、食べて、写真を撮る。
全部含めて一つの旅になる。
写真を見ていると、少しずつ当時の空気まで戻ってくる気がする。
次に行くなら、今度はちゃんと歩きたい
もし、もう一度出雲大社へ行くことができたら。
今度は時間に余裕を持って行きたい。
鳥居をくぐって、
参道を歩いて、
拝殿で手を合わせる。
御本殿の周囲をゆっくり歩く。
大国主大神や国譲りの神話を思い浮かべる。
古代には巨大な神殿が建っていたかもしれないことも想像してみる。
そして最後は、神楽殿へ。
昔の自分が「ここが出雲大社のメインだ」と思っていた場所。
今度はちゃんと、「ここは神楽殿なんだ」と分かったうえで、あの大注連縄を見上げたい。
巨大なしめ縄を、もう一度
玉前神社へ行かなかったら、レイラインを知らなかったかもしれない。
レイラインを知らなかったら、昔の出雲大社の写真を見返すこともなかったかもしれない。
一度行った場所なのに、知れば知るほど、もう一度行きたくなる。
昔は巨大なしめ縄を見て、「すごい!」で終わった。
それはそれで楽しかった。
でも今なら、もう少し違った景色が見えると思う。
神社の歴史を知ってから歩く。
神話を少し知ってから見る。
昔の自分が気づかなかったものを探してみる。
そして、巨大なしめ縄を、もう一度見上げたい。
いつになるかは分からない。
でも、出雲大社は、「行ったことがある場所」から「もう一度ちゃんと訪れたい場所」へ変わった。
次の出雲では、今度こそゆっくり歩こうと思う。